びあけん1級対策委員会

日本ビール検定1級合格のための対策委員会

第7回 日本ビール検定 1級 試験 026の解説

026

 

修道院に関する問題だったのだ。

(無断複写・複製・転載することは~、以下略。問題は詳しく書けない。ごめん)

 

 

中世ヨーロッパでは、修道院でのビールづくりの

担い手は修道士と、領地の農民だった。

→ 修道士ではないは間違いX

 

12世紀のヨーロッパで生まれた

ビール醸造業者と修道院は、

しばしば紛争をおこすようになる。

→ それぞれ販売先を持っており、

  共存繁栄を図ったは間違いX

 

トラピストビールが定義が定められた

背景には、1950年頃より修道院をまねた

レシピのビールが売り出されたことが

ひとつにある。

→ 1970年頃は間違いX

 

トラピストビールの中で最も小規模なのは、

シント・シクステュス修道院でつくられている

エストフレテレンである、良い。

 

 

補足

6世紀頃からビールとキリスト教との

つながりがあったとされている。

教会にとってビールは重要な飲み物で、

当時の安全な飲み物であり、

断食中の貴重な栄養源

そのため修道院長には醸造に詳しい人である

必要があったという。

 

12世紀頃には都市にも醸造権が

与えられ、ビール醸造業者ができる。

修道院は伝道や慈善事業のために

ビール販売を始めたため争いとなる。

 

1962年、オルヴァル修道院

トラピスト修道院で造られたビールだけに

「トラピスト」と表示できる権利を

認めさせたとある。

 

そのため、アビィビールという名前が

生まれたのも1962年ということになる。

(アビィビールとなる種類のビールは

 それより以前にある、定義の生まれた

 年が1962年となるだけである。)

 

参考文献の

ベルギービールという芸術』には

ウェストフレテレン修道院

年間醸造量400 KLとある。

そういった意味では、トラピストビールの中で

「最も小規模なのは」という曖昧な(何に対しての規模か)

選択肢に合致する。

 

しかし、

2002年の出版となっており、

その時点ではトラピスト協会に認定されている

ビールは7ヶ所である。

 

スティフト・エンゲルスツェル修道院

アプダイ・マリア・トゥーフルフト修道院

セントジョセフ修道院

トレフォンターネ修道院

マウント・セント・ベルナルド修道院

含まれていない。

現在までこれらの修道院の年間醸造量は不明。

 

その点で、

実際のところ、ウェストフレテレン修道院

現在も曖昧な「最も小規模なのは」に

合致するかも不明となる。

 

いいんちょーの今日の「ひとこと」

どうもいいんちょーです。

ベルギービールの知識は膨大だし、逸話が多い。それに自由なスタイルが多いので覚えるのが大変。あとベルギーは歴史的な話が多い。日本人みたいに昔の言い伝えが好きな国民性なのかなぁって。ベルギービール攻略はコツコツ。ちなみに、ウェストマール修道院、ウェスフレテレン修道院は「ウェ」って小文字の「え」なんですが、「ウエスト」と勘違いしてましたのです。

 

参考文献

 『ベルギービールという芸術』 田村功 光文社新書

 

関連問題