びあけん1級対策委員会

日本ビール検定1級合格のための対策委員会

第7回 日本ビール検定 1級 試験 031の解説

031

 

日本のビール王に関する問題だったのだ。

(無断複写・複製・転載することは~、以下略。問題は詳しく書けない。ごめん)

 

 

大阪麦酒入社後、

ドイツでビール醸造を学ぶ。

大日本麦酒の社長を経験し、

イーグルス高橋ユニオンズのオーナー

にもなった、「日本のビール王」と呼ばれた

人物は高橋龍太郎である。

→ 馬越恭平、生田秀、山本為三郎は間違いX

 

 

補足

残念ながら高橋龍太郎については

詳しくない。ここはWikipedia先生に

とりあえず概要はお願いしよう。

高橋龍太郎 - Wikipedia

後の、サッポロビールの偉い人かぁ。

 

ほうほう、面白い。

高橋ユニオンズのユニオンは

あのユニオンビールからとった

名前だそう。ちゃんと後で野球史を調べよう。

高橋ユニオンズ - Wikipedia

 

馬越恭平は三井財閥

三井物産横浜店の支店長から

「東洋のビール王」になった人。

紛らわしいけれど、経歴が違うのと

醸造技術を持っていないので簡単に

選択肢から外せる。

 

生田秀は経歴的には一致するも

「日本のビール王」と呼ばれた

形跡もないし野球との関わりが見られない。

これで二択になる。

 

山本為三郎についても

詳しく知らないのでWikipedia先生

なのです。

山本為三郎 - Wikipedia

と思ったらあまり詳しく載っていない・・・・・・

山本爲三郎コレクション|アサヒビール大山崎山荘美術館

 

アサヒビールの初代社長であり、

「ビール王」と呼ばれたらしい。

ふと、端田先生の本調べていると、

山本為三郎の経歴について書かれていた。

 

三ツ矢サイダーの瓶を製造していた

山為硝子という町工場が、和田豊治(とよじ)の

勧めで、日本製壜という会社になり、

その後、加武登麦酒、帝国鉱泉と合併して、

日本麦酒鉱泉となる・・・・・・

1921年、大11)

 

1933年、馬越恭平没後、

日本麦酒鉱泉大日本麦酒が合併。

第6回 日本ビール検定 1級 試験 035の解説 - びあけん1級対策委員会

 

1949年に、日本麦酒と朝日麦酒に分割。

その際、山本為三郎が朝日麦酒の初代社長となる・・・・・・

 

ちなみに

片割れの日本麦酒の分離後の

社長は柴田清であるが、情報がほとんどない。

柴田 清とは - コトバンク

 

ちなみにサッポロビールの歴代社長を

調べるところで面白いブログの記事を発見した。

歴代社長 歴代社長目次

歴代社長 サッポロホールディングス株式会社

歴代の社長を取り上げたブログ。

うーん、ニッチですなぁ。

 

いいんちょーの今日の「ひとこと」

どうもいいんちょーです。

ビールの日本史を学び直してしまった。結構難しい話だから、要点を絞ってまとめ直した方がわかりやすいかもしれない。根津嘉一郎のあたりがあやふやなのである。ううん、覚えられん。

 

参考文献

 

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