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日本のビール王に関する問題だったのだ。
(無断複写・複製・転載することは~、以下略。問題は詳しく書けない。ごめん)
大阪麦酒入社後、
ドイツでビール醸造を学ぶ。
大日本麦酒の社長を経験し、
にもなった、「日本のビール王」と呼ばれた
人物は高橋龍太郎である。
→ 馬越恭平、生田秀、山本為三郎は間違いX
補足
残念ながら高橋龍太郎については
詳しくない。ここはWikipedia先生に
とりあえず概要はお願いしよう。
後の、サッポロビールの偉い人かぁ。
ほうほう、面白い。
高橋ユニオンズのユニオンは
あのユニオンビールからとった
名前だそう。ちゃんと後で野球史を調べよう。
馬越恭平は三井財閥、
三井物産横浜店の支店長から
「東洋のビール王」になった人。
紛らわしいけれど、経歴が違うのと
醸造技術を持っていないので簡単に
選択肢から外せる。
生田秀は経歴的には一致するも
「日本のビール王」と呼ばれた
形跡もないし野球との関わりが見られない。
これで二択になる。
山本為三郎についても
詳しく知らないのでWikipedia先生
なのです。
と思ったらあまり詳しく載っていない・・・・・・
アサヒビールの初代社長であり、
「ビール王」と呼ばれたらしい。
ふと、端田先生の本調べていると、
山本為三郎の経歴について書かれていた。
三ツ矢サイダーの瓶を製造していた
山為硝子という町工場が、和田豊治(とよじ)の
勧めで、日本製壜という会社になり、
その後、加武登麦酒、帝国鉱泉と合併して、
(1921年、大11)
1933年、馬越恭平没後、
第6回 日本ビール検定 1級 試験 035の解説 - びあけん1級対策委員会
1949年に、日本麦酒と朝日麦酒に分割。
その際、山本為三郎が朝日麦酒の初代社長となる・・・・・・
ちなみに
片割れの日本麦酒の分離後の
社長は柴田清であるが、情報がほとんどない。
ちなみにサッポロビールの歴代社長を
調べるところで面白いブログの記事を発見した。
歴代の社長を取り上げたブログ。
うーん、ニッチですなぁ。
@いいんちょーの今日の「ひとこと」
どうもいいんちょーです。
ビールの日本史を学び直してしまった。結構難しい話だから、要点を絞ってまとめ直した方がわかりやすいかもしれない。根津嘉一郎のあたりがあやふやなのである。ううん、覚えられん。
参考文献
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